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ヒューマンヒストリー : バドミントン部
ヒューマンストーリー 藤田将徳「一生忘れられない試合」

彼にとっての「一生忘れられない試合」は勝って嬉しいものでも、負けて悔し涙を流すようなものではなかった。その時の感情は言葉にし難いが、競技に最も真剣に向き合った高校時代の記憶とともに鮮明に思い出される、人生で最も特別な1試合だった。

藤田将徳(文情3)は5歳でバドミントンを始め、すぐにその才能を開花させた。小学校時代、生まれ育った地元福岡での地区大会優勝はお手の物。県の指定強化選手にも選ばれ、小学校6年生の頃には、全国3位に輝いた。まさにエリート街道まっしぐらだった。当然、私立の強豪校から多くの推薦を受けた。しかし藤田はそれらを全て断り、校区の中学校に進学。それから意図せずとも彼自身「空白の3年間」と語る中学時代が始まった。小学生の頃から体が大きかった彼は、その体格とそれまでの練習の蓄積で、特別に練習しなくても勝つことができた。そのことが、彼をバドミントンから遠ざけた。「練習しなくても勝てるなら」と、所属していたクラブチームの練習にもほとんど顔を出さず、バドミントン以外のことに時間を費やすようになった。

高校受験の時期になり、相変わらずバドミントンへの熱を取り戻していなかった彼は、志望校も決まらず、やみくもに勉学に励んでいた。そんな時、彼が幼いころから尊敬してやまなかった先輩から、ある言葉をもらう。「バドミントンをしないのも一つの生き方だけど、俺はお前と頂点をとった時の景色が見たい」。この一言で、彼は九州国際高等学校への進学を即決したのだった。

九州国際大学付属高等学校へ入学し、バドミントンに再度向き合う決意をした。そこで、ある人物との再会を果たす。その人物とは、藤田が「たくさんいるライバルの中でも一番」と称する、龍谷大学3年の川口寛祐選手だ。川口こそが、のちに彼の高校バドミントンを語る上で欠かせない存在となるのだった。

2人が出会ったのは今から約15年前。小学生時代、お互いが所属しているクラブチーム同士の交流が盛んで、自然と顔を合わせる機会が多かった。いつの間にか気が合った2人は、ダブルスを組んだり、プライベートでも遊んだりと仲を深めていった。地区大会では、毎度決勝戦で対戦し、藤田が負けることは一度もなかった。公立の中学校に進んだ藤田に対し、川口は九州国際大学付属中学校に進学。6年間ライバルとして戦ってきた2人は、一旦離れ離れとなった。そしてのちに、そのまま付属高校に進学した川口の元に、藤田が合流する形となった。

彼らが部内で最上級生になったとき、転機は訪れた。1つ上の代が引退してすぐのことだった。高校2年の冬の選抜大会出場をかけた試合で、それまで6年連続出場を果たしていた選抜大会出場を彼らの代で逃してしまったのだ。監督からは練習を見ないと突き放され、自分たちで練習メニューを決める日々が半年以上続いた。団体戦で勝つためにはどうしたら良いか。技術的に後輩に頼ることができなかった彼らは、「2人で3本取る」ことしか道は残されていなかった。

無茶だと思いつつも2人で3本取るために、彼らは日々切磋琢磨した。2人のダブルスとそれぞれのシングルスで確実に勝つ必要があった。そのため、それまでシングルスしかしてこなかった藤田はダブルスも、ダブルスしかしてこなかった川口はシングルスも練習しなければならなくなった。小学生ぶりにダブルスを組んだ2人。ダブルスを得意とする川口が引っ張るも、ついていくだけでは気が済まない藤田は、必死にシャトルに食らいついた。真剣さ故にぶつかり合うことも多く、数えきれないほど喧嘩し、その度に話し合いを重ねた。

普通なら勝てるような相手にも負けが続く時期があった。「ペアが自分じゃなければ勝てるんじゃないか」。藤田は、圧倒的にダブルスが上手い川口に対して負い目を感じていた。すると、川口は真剣な目でこう話したという。「お前はスマッシュを思いっきり打ってくれたらいい。試合で負けたら、お前を生かせなかった俺のミスだから」。 コートに立つ4人の中で誰よりも上手く、主役になれる実力が十分あるにも関わらず、川口は引き立て役に回っていた。いかに藤田に気持ち良い球を打たせられるかを常に考えていた。そこには深い信頼関係と、ペアの絆があった。

迎えた高校生活最後の大会。地区大会、県大会を順調に勝ち進み、団体、シングルス、ダブルス全てで、2人はインターハイ出場の切符を手にした。藤田の「一生忘れられない試合」とは、2人のダブルス引退試合となった、インターハイ3回戦の試合だった。最後の相手は、そのあと同大会で準優勝したペアだった。当時の試合について、藤田はこう語る。「今までぶつかり合っていたこととか、うまくいかなかったこととかが全部うまくいって、気持ち良いくらいばっちりハマった。今までで一番、一つになった感じがした。川口が絶対にこういう球出して、ここに動くなっていうのが見ずとも分かるくらいで。本当に今までで一番楽しい試合だった」。試合後、2人の心に嫌な気持ちは一切なかった。ここまで出し切って負けたのなら仕方ない。そう思わせる試合だった。潔く負けたことに2人は笑うしかできなかった。高校3年間の全てをこの1試合に出し切り、2人の戦いは幕を閉じたのだった。

「負けて後悔のない試合は、あのダブルスだけ」。2人は口を揃えて語った。相手は誰だったか、どんな試合展開だったか、どんな負け方をしたのか、全てを鮮明に覚えているのは、それが決して高校最後の試合だったからではない。ダブルスの真骨頂を味わうことができた、最初で最後の試合だったからだろう。

藤田にとって川口は、今でも一番負けたくないライバルだ。苦楽をともに乗り越えた、青春の全てと言っても過言ではない元ペアの存在が、今も彼を強くしている。(藤岡亜里沙)



昔から得意とするスマッシュを打つ瞬間

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