ソフトボール部(女子)
HEADLINE

【ソフトボール部女子】4年生引退インタビュー

インカレで4年間の大学ソフトボール生活に終止符を打った4年生。試合後の選手たちへのインタビュー全文を掲載しています。

#20 山口

――インカレ2回戦を振り返って

1回戦のときにみんなで繋いで、1点を取れたという流れのまま2回戦には言った。厳しい試合になることは分かっていた。その中で自分たちがやるべきことを出し切れた試合だった。悔しいところはあるけど悔いは無い試合だった。

――インカレ全体を振り返って。

今回分析をしっかりしていた。試合に向かって行く気持ちが西カレよりあった。団結力というところでレベルアップした試合だった。

――大学四年を振り返って

コロナ禍から始まった4年間で、最初の方は思うように試合もできなかった。練習も十分にできなかった。最近になって、試合もできるようになって、開会式もある状況になった。良い仲間に巡り会えた。

――これまでのソフトボール人生を振り返って

ソフトボールで嫌になったことも、その分嬉しかったことも沢山あった。一概に終わってみて楽しかったとは言えないが、ソフトボールをやっていてよかったと思う人生だった。

――同期へ

この1年間積極的に聞いてくれてありがとう。感謝の気持ち

――後輩へ

この悔しさをバネにして秋リーグや次シーズン、インカレに向けて頑張って欲しい。

#22 松本

――インカレ2回戦を振り返って

昨日サヨナラ勝ちという形で勝利。その流れのまま同志社らしいソフトで勝ちきろうと前日のミーティングで話し合っていた。西カレでボロボロに負けた中京にリベンジでどんな形でも、僅差でもいいから勝ち切ろうと思った。振り返ると、そこまで自分たちのソフトボールが出来なかった、反省があるわけではないと思う。向こうの実力が少し勝っただけかなと思う。

――インカレ全体を振り返って。

西カレのプレーより今回のプレーが良かった。1点取れたことが前回の反省を生かした結果。

――大学四年を振り返って

1年目はコロナの時代でインカレも無く、3.4年になってインカレや試合が戻ってきた。どちらの環境も経験したからこそ応援してもらっている人の有難みも感じたし、ソフトは小学生からやってたので、それを改めてどちらもを体験して成長できた。結果は勝てなかったが、個人的にはやり切れた。そこに関しての悔いは無い。

――これまでのソフトボール人生を振り返って

高校生までは監督がいて、指導者がいて、その支持を受けてプレーをするのがする当たり前だった。監督は指導をされずに、自分たちの考えでソフトボールをやっていく中で、その楽しさもあるし、難しさもある。ソフトボールで培ったそのスキルを社会人で必ず繋がる部分がある。そのようなスキルを勉強させて貰い、実になったと思う。

――同期へ

高校各校のキャプテンや日本代表選手が集まっていたので、周りからのプレッシャーもあったと思う。その中でも1年生の頃から纏まってこれたのでは無いかと思う。幹部を決める時も、すんなりとは決まらずに何度も話し合いを重ねた。今振り返れば良い思い出で経験だったと思う。それが無ければ今まとまったチームになっていなかったと思う。6人という少ないメンバーだったが、4年間一緒にプレー出来たことが幸せだった。

――後輩へ

自分たちの代はコロナ禍で観客が居ない中のソフトボールやそもそもソフトボールが出来なかったことを経験した。どっちも経験した分、色んな人に応援してもらったり支えてもらうことが当たり前ではないと感じた。それは代替わりや節目の時にしか感じるきっかけは無いかもしれないけど、それを日頃の練習で意識しあって、ソフトボールの練習や試合をすることで、より一層身が入ると思う。忘れがちな感謝の気持ちを常に持ちながらソフトボールを楽しんで頑張って欲しい。

#27 高浜

――インカレ2回戦を振り返って

悔しいの一言。西カレで中京とやったときは完敗だったが、今回は自分たちの力と最後まで諦めない姿勢を見せつけれたのは良かった点。

――インカレ全体を振り返って。

西カレでは1回も触れられなくて、ツーストライクを取られてそこから当てることしか出来なかった。そこの良いピッチャーに対して怖がらずに初球から触れる準備をしていこうと西カレが終わって1.2週間の間でそこを意識した中で、バッティング練習をしていた。そこを怖がらずに初球から振りに行けたという点が1点取れたところに繋がった。

――大学四年を振り返って

コロナ禍でできなかったと言うのもありとても速かった。高校と全く違う環境でソフトボールをやって、ゲームを采配する立場にもなり、よりソフトボールを追求していくことが出来た4年間だった。その積み重ねを最後の1年間で放出する気持ちで意気込んでいた。最後の1年間でやりきれて強いチームを作ることが出来た。

――これまでのソフトボール人生を振り返って

高校までは結果を出して、自分の技術を高める事で、自分の存在価値を上げて試合に出ることをこだわっていた。大学は、同志社の選手主体でプレイをするところに惹かれて、入学を決めた。高校までで培ったものを大学で出し切ることには強い気持ちを持っていた。ソフトボールを追求してこだわりを重ねて、ソフトボールの奥深さを知れたのが楽しかった。

同志社はとにかく自分たちでソフトボールができるのがいいところ。中京のように監督からサインが出て、それをこなして勝つというやり方もあるが、自分たちで作戦を考えて、どうしたら強いところに勝てるかを考えて、それを達成してリーグで勝つときの喜びは倍増する。そこが同志社ならではで、良かったところだと思う。

――同期へ

自分に好き勝手させてくれてありがとう。キツいことを言ってきた中でもついてきてくれて、自分のサインに全力で応えてくれたことに感謝。

――後輩へ

インカレの借りはインカレでしか返せないと思うので、インカレの出場権をリーグで掴み取って、インカレで勝つことにこだわってほしいと思った。

#87眞嶋

――試合を終えて

後悔は、ないです。チームが一つになって戦えたなということをすごく実感できた。「全員総力で、愛されるチーム」というのを目標として掲げてきた。保護者の方々も含め、三位一体となって試合に取り組めた。

特に早稲田戦では、冬に練習試合をした際には完封負けをしていた。すごく良いピッチャーがいて、チームのカラーも少し同志社と似ている。そこを勝ち切れたということは、同志社がチーム力で勝っていたのかな。それが出せたことがすごく良かったと思います。

――インカレにかける思いはどのようなものだったか

1試合でも、1日でも長くこのチームで試合をしたいという思いが強かった。とにかく楽しんで、楽しんだ先にはしっかり結果がついてくると思っているから、最後の試合を後悔ないように挑もうと思っていました。

――大学四年を振り返って

大学四年間は、同志社のチームカラーもあり、大きく成長できたと思っています。自分自身、人前に立ったり、話したりすることがあまり得意ではないですが、学生主体ということもあり、四年生が上に立って引っ張っていくというのが必然だった。その点を踏まえても成長できたのではないかと思います。プレー以外の点では、自分は関東の人間なので、すこしは関西のノリについていけるようになったのではないかと思います(笑)。先輩も、後輩も、周りの方に恵まれて、いい同期と巡り合わせてもらって、いい4年間でした。

――副将としてのプレッシャー

ポジション的に、幹部ではあったが技術的な面の方が求められることが多かった。2年生の時からインカレには出ていたので、1番バッターとしてチームを引っ張っていかなければならないという部分と、1番バッターとして雰囲気を作っていかなければならないという点では‥早稲田の試合の前は寝られなかったですね(笑)。

――春リーグでは首位打者になられていたが

周りの環境がこうさせてくれました。

――ソフトボール人生を振り返って

本格的に始めたのは小学校4年生です。ソフトボールをやっていなかったから、こんなに活き活きしていなかっただろうと思います。ソフトボールを通して、辛いことも楽しいことも、沢山経験させてもらった。ここまで続けてきて良かったなと思います。

――同志社の好きなところは?

みんな明るくて、ノリがすごく良くて。でも、やるときはしっかりやるし、先輩後輩の仲も、横のつながりも良くて、攻める時は一気に攻められるところが好きです。

――同期へ

こんなへにょへにょした性格で、頼りないこともあったと思うんですけど‥同期のみんながいたから頑張ってこれたし、「やってやろう」と思えた。この学年には、留学に行ってしまったり、プレイヤーとして続けることができなくなってしまった人がいて。「その人たちの思いもしっかりのせて試合に挑もう」と思い続けてきた。苦しい時にはすぐに察して声をかけてくれた。本当に感謝しかありません。大好きです。

――後輩へ

こんな頼りない先輩についてきてくれて、ありがとうございます。どっちが先輩かわからないこともよくあったんですけど、その中でも、立てるところは立ててくれる。扱いが上手いなと思います(笑)。自分たちは真面目な学年で、それを明るく、柔らかくしてくれていたのが後輩たち。これからもそれを活かして、より良いチームを作っていってほしいなと思います。今までありがとうございます。

――幹部へ

1年間をとおして、チームの形を作るという点では大変なところもあった。チームの形を作るという点で一番苦しんだのはりんだと思うし、試合を作るという点で苦しんだのはゆいだと思う。三人の体制をとって、萌子もそこに支えとして入ってくれて、この面子だったからここまでこれたんだなと思う。一人ひとりの良さを出し合いながら、悪いところはカバーしあう。そんな関係を築いてこれた、とても信頼している存在です。

MG井内

――試合を終えて

頼もしい同期と仲間と戦うことができてすごく幸せでした。

――最後の大会に向けての意気込み

日本一を目指して。でもなにより、「全員総力」。全員でやりたい、という気持ちが強かった。誰一人欠けることなく迎えて、いきいきと楽しめたのではないかと思う。

――4年間振り返って

しんどいことも多かったけど、自分としてもすごく成長できた。マネージャーになれたからこそ学んだことも多い。そう思わせてくれた仲間と出会えてすごく幸せです。

――ソフトボール人生を振り返って

小学校4年から大学1年くらいまでやっていて、そこからマネージャーに。12年くらいやっていました。

日常であり当たり前だった。自分はあまりガツガツしたタイプではないし、争うことは根本的に好きじゃない中で、勝負の厳しさを知った。そんな環境に身を置くことで成長できた。ソフトボールには感謝している。

――同志社の好きなところは

先輩後輩に関係なく、みんなで大好きなソフトボールに向かうところ。

――仲間にメッセージを

宝物です。

出会えて良かったです。「人のためにここまでできる」、そう思わせてくれたのは同期であり後輩だった。そんな気持ちにさせてくれて、そんな仲間に出会えて、自分の気持ちを託すことができて、それをみんなが戦い抜いてくれて、すごく幸せな時間でした。

#10和田

――試合を終えて

(試合は)取られたけど、最後まで勝てると思った。勝てると思った分、悔しい。

――インカレを振り返って

昨日の試合を勝てたことは大きかった。このチームの成長を感じられた試合だった。昨日の試合も今日の試合も、投げていて一番楽しかった。周りのみんなが守ってくれているのも感じたし、ベンチからの声もよく聞こえた。このチームの真ん中で投げられて幸せだった。

――同志社の好きなところは?

普段はみんな自由で、ふざけている。でも、試合になったらギアがかかって、全員が勝利に向かって行けるところ。勝利に対する強い気持ちを持っていて、全員が日本一っていう目標に向かってキャプテンの自分についてきてくれた。1回生から4回生まで、全員が頼もしい選手。

――同志社での4年間を振り返って

他の強いチームに入ることももちろん考えた。でも私が同志社を選んだ理由は、受動的ではなく、自分で考えてソフトをして、学生主体で、強く勝てるチームになりたいと思ったから。

一年目はコロナから始まり、「こんなに休んだことない」というくらいソフトボールができない事が多かった。だから当時の4回生とはなかなか思い出が少なかった。でも、その先輩方も今でも応援してくださっている。大会前も連絡をくれたりする。4年間を通して、すごく先輩に恵まれていたと思う。

自分は一回生のころからチームの真ん中で投げさせてもらってきた。良い時もあったけど、2年、3年、4年の始めの方は中々思うようなピッチングができないことが多かった。インカレで自分がマウンドに立って、決勝点を取られて負けてしまって、申し訳ない気持ちがあった。それでも、当時の先輩方は今でも応援してくれているから、今年のインカレこそは先輩方の悔しさも力にかえて、絶対に日本一になりたい。4年目はずっとそう思って過ごしてきた。

――主将としての重圧は?

自分はキャプテンをできる器でもないし、あまりキャプテン経験もなかった。だから、はじめに目指すチーム像を決めた。「全員総力で戦えて、全員が意見を出し合って良いチームにしていく」。目標だけは見失わないように、自分自身が軸を持って、みんなの前に立って背中で引っ張っていくと決めてキャプテンを始めた。

でも、やはりうまくいかなかった。今でも、「もっとこうしていればあの時もっと良い結果が出せたのかな」とすごく思う。キャプテンとして、ピッチャーとして、みんなを引っ張っていけなかった試合の方がこの1年間は多かった。だから、楽しかった、よりも悔しかったことのほうが多かった。ここまでやり切ったが、満足かと言われるとそうではない。

――和田さんの人柄が現れたような、笑顔あふれる素敵なチームだったと思います

高校生の時に3年間やって学んだことが、「人間性」の大切さ。もちろん練習を頑張ることはそうだけど、最終的に「このチームだから勝ちたい」とみんなが思ってくれたらいいなと思っていた。目指すのは日本一だがさらにその先に、みんなが「このチームで良かった」と言えるなら自分はキャプテンをやって良かったと思える。周りの方にそう言って頂けるのはありがたいことだと思います。

――これまでのソフトボール人生を振り返って

幼稚園の頃からボールを触り始めて、小学校1年生からソフトボールをはじめた。16年ソフトボールを続けてきて、良い思いも、辛い思いも沢山してきた。先ほど言って頂いた「人柄」を形成してくれたのはソフトボールだと思う。ソフトボールがなかったら自分はこうではなかった。ソフトボールという競技にすごく感謝しているし、今まで自分を支えてくれた恩師たちにも感謝を伝えたい。沢山仲間もできた。ソフトボールって最高だ、と思う。

自分はこの先もソフトボールを続ける。同期の中には、続けたかったけど続けられない子もいる。自分はまだまだここで終わりじゃない。同志社生代表として、もっと上を目指して、「あんな風になりたい」「同志社の和田凜すごいな」と思ってもらえるように、同志社の名がもっともっと広まるように、自分も次のステップに向かって歩みを止めず頑張っていこうと思います。

――仲間へのメッセージをお願いします

まず、後輩から。

一番長く一緒過ごしてきた3回生は、4人という少ない人数だけど、1人1人がすごく良いものを持っている。芯が強くて、プレーではいつも引っ張ってくれた。一個下の代だけど、チームを鼓舞してくれる存在だった。本当に良い子しかいない。

小笠原は高校生の頃から一緒にやってきたので、ここで一緒にソフトボールやるのが終わっちゃうと思うと寂しい。もう少し長くこの大会でやりたかったけど、それはもう叶わないので、須磨ノ浦代表としてこのチームを日本一に導いてほしい。キーとなる存在だと思うので期待している。4人全員重要な存在だから、私たちの想いも引き継いでほしいけど、4人らしい色で次のチームを引っ張っていってほしい。

2回生は…一人一人に想いはあるが、今日先発した櫻田と入口は、冬のトレーニングの時、自分は厳しかったと思うが、一緒に頑張ってきた。すごく成長した…「りんさんりんさん」って言ってくれるのがすごく可愛くて。最後、打たれてしまって2人は責任を感じていると思うけど、自分たち3人が軸となって継投して勝ちに導く、3人で点を取れる形を作って打撃に持っていくっていうのが理想の形だった。打たれたことは仕方ない。今日打たれたこと以上に、これまで、秋リーグでもすごく支えてもらったし、自分が結果を出せない中あの2人が踏ん張ってくれたから秋リーグ準優勝という結果が出せたと思う。頼もしくて、可愛くて仕方ない後輩。次の代はあの2人が軸となって戦っていくと思うから、自分たちがこのチームを引っ張っていくぞというくらいの気持ちで、この悔しさも力にして、頑張ってほしいなと思います。

一回生は、やった時間は短かったけど、一生懸命な子ばかりで。ソフトボール大好きだし、沢山練習するし。「この子達はソフトボールが好きなんだなあ」と思う。3月を迎えた時、「新入生をどうやって部の中に迎え入れるのがいいんだろう」と考えていたんですけど、今の一回生は自分から積極的に入ってきてくれた。元気だし、よく声も出すし、一番下の代が今の一回生で良かったと思う。これからも、学年としてチームを引っ張っていってくれるんじゃないかな。

同期は、

(山口)碧葉。碧葉は、3回生の冬くらいからピッチャーを改めて始めた。それまで自分は、ピッチャーが周りにいなかったから孤独だった。自分ひとりで投げないといけないし、拠り所がなかった。その中で碧葉がピッチャーにきてくれて、ピッチャーにしかわからない気持ちであったり、通じ合えるものがあった。碧葉の存在には本当に感謝している。4回生としてインカレで投げたかったのは、自分が一番わかっていた。自分は今日のマウンドも、「プレーできない4回生の分も思って投げよう」って思って、気持ちを乗せて投げた。それが碧葉に届いていたら良いなと思う。碧葉がいて救われた。同期でよかった。

(高浜)ゆいは、去年幹部を決める時に意見の食い違いがあった。初めはうまくやっていけるか不安もあったが、やっているうちに向いている方向が一緒だと感じた。ゆいも私も、「日本一」っていう目標に向かってやってきたことは一緒だし、お互い必死だった。そこがどんどんすりあってきた。最後にはゆいの隣で投げるのがすごく楽しかったし、いつも力強い声をかけてくれて頼もしかったし、采配をとるゲームキャプテンという立場もゆいにしかできなかった。唯一無二だったし、ゆいの存在がなければこのチームはここまで来ていない。こんなに頼もしい同期がいて、尊敬しかない。そんな人と一緒にソフトができて本当に良かった。

(眞嶋)花は、お互い一年生の頃から試合に出てきた。花の中にも重圧があったと思う。言葉にこそしなくても同じ気持ちを共有してきた人。花にだから、気持ちを打ち明けることができた。包み込んでくれる優しさで、優しすぎて心配になってしまうくらい優しくて、どんな時も受け止めてくれる。今まで出会った人の中で一番優しい。すごく支えられたし、後輩にも慕われている。天然だけど技術もあるから、4年間ずっとチームを引っ張ってきた存在。本当に頼もしい。花のバッティング、プレーがすごく好きだから、チームメイトの身だけどもっと花のプレーが見たかった。その思いもあってここで終わったのは悔しいけど、一緒にやれて良かった。

(井内)萌子は、選手からマネージャーに転向して、すごく悔しい思いをしたのを知っていた。でもそんなところを見せず、いつも後輩から同期までを支えてくれた。どんな時でもポジティブな声をかけてくれた。自分もキャプテンになって悩んだことも多かったけど、いつでも隣にいてくれたのは萌子だった。「凜ならできるよ」って一番言ってくれた。その言葉にいつも支えられていた。優しいけど負けん気が強くて、そんなマネージャーがいてくれたからこそここまでこれた。感謝しきれない。みんなが楽しんでくれている姿を見ると、一緒に沢山悩んできたことも無駄じゃなかったと思えるので、萌子とこのチームに対して沢山考えてこられて良かった。

(松本)ゆうきは、小学校から、一番長くソフトボールを一緒にしてきた。小中学校時代と、大学では偶然一緒になって。また一緒にできるんだ、とすごく嬉しく思った。このチームが始まった時も、またバッテリーが組めた。最後までゆうきとバッテリーを組むつもりだったので、同じフィールドでプレーできないという事実を突きつけられた時は、もっとゆうきに何かしてあげられることは無かったのか、と、すごく悔しかった。本人が一番悔しいのはわかっているから伝えていないが、「もう少しバッテリーを組みたかった」と思ってきた。でも、バッテリーのことをよく見て、自分たちのピッチング、配給、キャッチングに関してもすごく支えてくれた。あのポジションはゆうきにしかできなかった。自分たちの同期は本当に優しい人しかいないけど、いつも後輩から「ゆうきさん」って慕われていて、よく周りを見て、みんなのことを見守ってくれている。幼馴染として、これで一緒にソフトボールをするのは終わりになってしまうけど、この10数年間ゆうきと一緒にソフトができて本当によかった。こういった終わり方ではあったけど、大学でまたゆうきと一緒にソフトボールできたことは、同志社にきた意味。最高のマブダチです。

ページ上部へ