~インタビュー掲載~ 【カヌー部OB・橋本将都氏】同志社カヌー部初の五輪選手を目指し、世界の舞台で戦い続ける

◆特別オンラインインタビュー◆杭州アジア大会で銀メダルという成績を残し、日本人として33年ぶりに表彰台に登った。4月19日には、パリオリンピックへの出場権をかけたカヌースプリント・アジア選手権に出場。惜しくも2位となり、あと一歩のところで出場権を逃した。悔しさを滲ませるも、4年後のロサンゼルスオリンピックに向け世界の舞台で戦い続けることを決意。そんな橋本氏にオリンピックにかけた思いやこれからの目標について伺った。
ああああああああ
ーーどんな思いで挑まれましたか?
オリンピックに行きたいっていう思いはもちろんあったのですが、それ以上にもう絶対行けるという自信があって。というのも、試合の日の風向きが自分たちに有利な風が吹いてたので、これは絶対に勝てると思って。だから本当にレースが始まる前もレース中(スタートから200㍍)ぐらいまでは絶対勝てると思って臨んだ試合でした。
ーー重点的に練習したことはありますか?
コーチから教えてもらったとうり、筋力面で強化を図っていこうという話になりました。足、腕、背中、のトレーニングを多く取り組みました。
ーーレースを振り返ってお願いします。(4月19日に行われたカヌースプリントアジア選手権)
カナディアンのペアは、 右こぎと左こぎがいるんですよ。左側から風が吹いた時は左側でこいでる人が後ろに乗ってる方が有利というのがあって。今レースでは左風が吹いてて、1位を取ったカザフタンの選手の方は不利な状況で僕たちは有利でした。以前のアジア大会が0.2秒差だったので、有利なことを加味して自分たちが成長してるということを考えたら、勝てると思ってスタートラインに立った感じです。
最初のスタートはいつもより僕らがかなり(先に)出てて。 大体相手に前に出られて、最後近づいていくという展開が多かったんですけど。今試合は最初から体もメンタルもスタートも調子がとても良くて。最初100㍍くらいまで先頭で、ラスト200㍍着いた時もいつもより後ろにいなかったのですが、カザフスタンの選手のペースアップがとても早くて追いつけなくて。まだ落ちてくるだろうと思っていたのですが、ラスト50㍍ぐらいで無理かもしれないと思ったらやっぱり案の定無理で…1.5秒差離されて終わってしまったという感じです。
ーー周りの雰囲気はいかがでしたか?
その時はもう周りが見えていなかったですね。でもアジア大会とかで結構顔見知りになっていたので、カザフスタン、韓国、イランなどの選手と食堂とかも一緒だったので普通に挨拶したりしました。相手の状況はそこまで変わらなかったのですけど、同志社のOB、会社の方やスポンサーの方が来てくださって、応援してくれる人が多かったことが大きく普段と違ったなと思いますね。
ーーレース前のメンタルはいかがでしたか?
緊張っていうのは感じなくて、勝手に緊張してるって感じだと思うんですよね。それこそ試合前にお笑いを見て緊張をほぐしてるくらいで。もう絶対緊張するから、先にリラックスしておこうと思って。だから全然緊張はなかったと思います。さっきも言ったのですが、絶対行けるとしか思ってなくて結構強い気持ちを持って臨めた感じですね。
ーーちなみに誰のお笑いを見ていたのですか?
あの時は中川家を見ていました!笑笑
ーールーティーンとかはありますか?
ルーティーンというよりかは、緊張しすぎてもよくないし、しなさすぎてもよくないって言われたので、自分の感覚で緊張しすぎてるなという時は見るようにしてます。お笑いを見て緊張をほぐして笑うしかないなと思って、笑うと緊張も若干和らぐので。以前に、緊張しすぎて試合前に手が震えるぐらい緊張した試合があって。そういうことには絶対したくないなと思ってたいたので、緊張する時には絶対にお笑いで笑えるようにしてます。
ーーレース中に意識していたことはありますか?
レース中は左風が吹いていて有利だと思ったので、最初から逃げ切る戦法で行こうと思っていました。僕らはあまりピッチ(回転数)が上がらない方なのですが、後々映像を見みると回転数も結構上がってたので、前半から離そうとレース中は考えていました。
ーーペアの永沼さん(永沼所属)に送りたい言葉はありますか?
少し前だと足引っ張ったかなという面があったので「すみません」という言葉を思っていたのですが、レース終わって3週間くらい経ってようやく自分の気持ちが落ち着いてきた今、1番伝えたいことは「ありがとうございます」です。永沼さんは立命館出身の1つ上の先輩なので、いつも引っ張ってくれて。試合後は本人も負けて悔しいはずなのに「よくやったよ」って言う言葉かけてくれました。だからオリンピックに行けなかったことは悔しいのですが、一緒に戦ってアジア2位であったり今回の試合で2位取れるのは、4年前の自分からは全く想像できてなくて。こういう経験ができたのは絶対永沼さんのおかげなので、そこに関しては本当にとても感謝しています。でもやっぱり冒頭にも言ったのですが、自分自身の技術がもっと上がってたら勝ててたんじゃないかと思うので、そこに関しては間違っているかもしれないですけど、「ごめんなさい」という気持ちも自分の中にはありますね。
ーー永沼さんとの今までの関係について教えていただきたいです。
僕らは野球部みたいに同立戦とかの試合をする感じではなく、一緒にバーベキューしたり練習したりする交流が年に1回ありました。たまにですけで、琵琶湖で一緒に練習もしていました。試合では学生の時も1回ぐらいは勝ったな?ってくらいほぼ勝てなかったです。だからライバルって言っていいのかどうかわからないぐらい速い人だったって感じです。
ーー4年後はどなたと組まれますか?
それはまだ分かっていなくて、永沼さん自身4年後も続けているかが分からないので、ペアとしては 5月の24、25、26日のワールドカップで一旦解散になるのかなと思います。4年後はコーチも変わると方針とかも変わるし選考会の関係とかもあるので、組めるかどうか分からないですね。でも自分自身はもう1回永沼さんと組んで、オリンピックに一緒に出て活躍したいという思いはすごくあります。
ーー今後への意気込み
いろんな思いがあって、(オリンピックを再び目指すことを)決断したのですが、自分自身決断する前は沢山悩みました。やっぱり4年間頑張り続けるのは思っている以上に大変で。大変という言葉で済ませないぐらい大変で。この1年間頑張ったのですが、それですら結構きついなという面もあったので。あと自分の仕事、社会人としてのキャリアは全然詰めてない状態であったり、4年間ってなると自分のライフプランも犠牲にしないといけない部分も出てると思うんですよ。だから続けるか沢山迷ったのですが、この試合の前やレース中や終わってからもやっぱり自分自身オリンピックに出たいなって思って。試合後の悔しい気持ちから「オリンピック行きたい」って気持ちがあると思うんですね。あと3月に日本で行われた国内選考で結構緊張してしまって、それこそ夜寝れないぐらい。そういうの考えると、本当に自分はオリンピック出たいんやろうなっていうのはとてもあると思うんですよ。自分の中でそういう出たい思いっていうのを大事にしたくて。アスリートでいれる期間って短いと考えると、やっぱりもうここでやめるのはもったいないじゃないですけど、やっぱり挑戦した方がいいと感じたので続けようと思っています。
ーー今後の目標
長期のスパンで言うと、4年後のロサンゼルスオリンピック。2年後には愛知でアジア大会が開かれるので、そこで金メダルを取りたいです。アジア大会で銀メダル取った時はすごい嬉しくて周りもとても喜んでくれて。 オリンピックがやっぱり1番大きな目標なのですが、中間目標として(アジア大会で)金メダルを取れたら自分自身もめちゃくちゃ嬉しいと思うので、そこを目指していきます。
ーー同志社大学カヌー部へのメッセージ
僕運動神経悪いんですよ。他の選手が1日でできることを1週間かけてできない時もあるので。でも努力と運も含めてここまではなんとか来れているので、正しい努力の仕方と努力の量を積めば自分の可能性がどんどん広がっていく競技やと思います。そういう競技をやってるんだっていうことを頭に入れて、最初から諦めるんじゃなくてどんどん挑戦してほしいと思います。
(取材・構成=白川愛梨・湊結子、画像=本人提供)
【プロフィール】
◆橋本将都(はしもと・まさと)
1995年3月15日生まれ。2017年度スポーツ健康科学部卒。サコス株式会社所属。
