~インタビュー掲載~ 【オリックス・バファローズ 東山玲士選手】特別インタビュー

◆特別インタビュー◆1月15日◆2024年ドラフト5位でオリックス・バファローズに入団した東山玲士選手。大学時代ではリリーフの柱として優勝争いに貢献する。その後は社会人野球へと進み大舞台で活躍、さらにその名を知らしめた。プロ入りに至るまでには、血のにじむような努力や代え難い経験、また大学時代に出会った恩師の存在がある。新たなステージへと踏み出す右腕が、今を生きる同志社生に向けて思いを語った。
――(1月15日時点)新人合同自主トレ開始から数日、プロの環境・施設について
そうですね、大学の時は体育ハウスに住んでて、そのあと2年間はENEOSに行って、ENEOSの時も寮だったので、それとあまり変わらずというか、結構リラックスした感じでいけてるかなっていう風に思います。
――特に仲良くなった選手は
全員と結構いい感じで話してるんで、基本みんな後輩で。山中(山中稜真選手=ドラフト4位)だけが僕と同級生で。三菱重工East(出身)で、都市対抗予選とかが同じ地区で、結構ライバルとしてずっと仲良くというか話してる感じですね。
――オリックス・バファローズというチームについて
やっぱりおととしまで3連覇してるすごい強いチームで、ピッチャーもすごい良い選手が揃っていて、育成が上手だなと思うところと、チームの雰囲気もすごいこう、練習する雰囲気が今でも流れてる感じがあるんで、すごいいいチームだなという風に思ってます。
――大学時代は主に中継ぎとして活躍された、今大学時代を振り返って
今思えば力不足だったなというか、もっとできたんじゃないかなという風に振り返れば思います。
――その中でも3年秋にはベストナイン、当時の心境や今生きていると感じることは
もう本当にあの時(ベストナインを)獲れていなかったら多分今僕はここにいないんで。ベストナインを獲ったことによって日本代表候補合宿にも呼ばれて、そこでたまたまENEOSの方にも行けたので。それ(ベストナイン)がなかったら本当にもしかしたら野球を続けていなかったかもしれないですし、本当に獲って良かったなという風に思います。
――心理学部のご出身、知識が生かされていると感じる瞬間は
そうですね、結構その緊張緩和というのは僕は興味があったというか、心理学部に入ってこれだけは学んでおこうと思って、ちゃんと聞くようにしてて。それが結構今も緊張緩和するために呼吸法を意識したりとか、そういう所には生きているのかなという風に思います。
――私生活と野球、大学4年間で成長できた部分は
まずはやっぱりチームとして自分が何をしないといけないかという、役割というか、そういうのをちゃんと見つけられるようになったというか、どうすれば部員160人とか多い中で試合に出られるかというのを模索しながらできたのはすごい良い勉強だったと思います。また花野監督(花野巧氏=硬式野球部前監督)に3年生、4年生と教えてもらって、社会人野球の厳しさであったり、その上のレベルに行くためにはどうすればいいかっていうのをすごく教えていただいて、そのおかげでENEOSの方に行けたので。大学4年間はすごい良かったなと思います。
――社会人野球に進むことができたのは花野監督のおかげ、という部分が強い?
僕自身大学2年生まで全然結果を残せてなくて、3年生の時に監督が花野監督に変わられて、「もうお前、ピッチングフォームを変えないともう使わない」みたいなことを厳しく言われて。でその時に、最初は「何言ってるんや」と。結構自分にも意地みたいな、プライドがあったので。正直に言うとうざいかなと思ってたんですけど、そこでフォームを変えたことで本当にそこから一気に飛躍できましたし、そのおかげでベストナインも獲れたので、すごくありがたかったです。ENEOSに入れたのも、花野監督が大久保監督(大久保秀昭氏=現ENEOS野球部チームディレクター)と仲が良くて、話をしてくださったというのもあって入れたので、そういった経緯で今野球ができています。
――ドラフト指名当日は花野前監督から連絡はあった?
はい、指名された直後くらいに花野監督と大久保監督が電話されてて、僕もその電話にちょっと入らせてもらって。「何がプロや」って言われたんですけど(笑)。はい、一応報告はしました。
――同期からは連絡はあった?
はい、おめでとうっていう風に、全体LINEで動かしてくれたというか、祝福してくれました。
――ENEOSでは2年間プレー、ENEOSでの2年間について
最初入った時はやっぱり本当に厳しいというか、練習もハードだったんですけど、それ以上に練習に取り組む姿勢とか、もうアップから全てこだわって、勝つために手を抜かないというか、妥協しないっていうのをすごい大事にしてて。本当に1球の大事さというか、勝つしんどさ、9回の守備の大変さとかも、全て学ばせてもらったという感じですね。
――ENEOSといえば強豪。2年前には度会隆輝選手が横浜DeNAベイスターズにドラフト1位で指名されその後活躍された。そこに対する刺激だったり気持ちを新たにする機会はあった?
そんなに身近にプロに行く人はいなかったので、ましてやドラフト1位ってなってもいなかったので。「これがドラフト1位か」っていう羨ましい気持ちも多少あったんですけど、それ以上にやっぱり負けたくないなというか。自分も来年プロに絶対行ってやるんだっていう強い気持ちになりましたし、(度会選手が)プロに入って前半戦活躍してるのを見て、自分もその舞台で活躍したいなっていう風に、強く刺激をもらいました。

――いよいよプロの世界に入る、対戦してみたい選手は?
リーグは違うんですけど、小林誠司さん(硬式野球部OB=読売ジャイアンツ)がやっぱりどうしても。先輩なので、一度は対戦してみたいなという風に思います。
――小林選手からは連絡はあった?
ちょっと連絡先が分からないのでまだ話せていないです。ただ宮本慎也さん(硬式野球部OB=元東京ヤクルトスワローズ)が、たまたま東京でおめでとう会みたいな時に来てくださって、その時にちょっとアドバイスというか、こうした方がいいんちゃうかっていうことを教えていただいて、ためになったなという風に思います。
――差し支えなければ、宮本さんからはどんな話を?
やっぱりプロは化け物ばっかりいる世界だから、そこで相当頑張らないと結果は出せないということと、かと言ってキャンプから飛ばしすぎたらけがとかにもつながるから、報道陣とかファンの人とかいっぱいおるけど、焦らず飛ばしすぎずに行け、という風にアドバイスしてもらいました。
――プロで目標とする姿、選手は
やっぱり結果の部分とかでいうと、やっぱり山本由伸投手(ロサンゼルス・ドジャース)のような、素晴らしい結果を残してチームの優勝に貢献するのがベストなんですけど、平野佳寿投手(オリックス・バファローズ)みたいに、少しでも長くというか、一軍最前線で息の長い選手になりたいと思います。
――最後に今の同志社大学硬式野球部と、同志社生にメッセージをお願いします
もう本当に目標を高く持ち続けて、その目標を達成するために日々努力し続けてほしいなという風に思います。
(取材・構成=黒田周良、撮影=中務桜々子、プロフィール画像=球団提供)

【プロフィール】
◆東山玲士(ひがしやま・れいじ)
2000年5月5日生まれ。身長180㌢、体重83㌔。2022年度同志社大学心理学部卒。右投右打。2023年にENEOS株式会社に入社し、主に中継ぎ投手としてプレー。最速151㌔の直球と変化球を武器に三振の山を築き、チームの都市対抗野球大会、社会人野球日本選手権大会への出場に貢献した。2024年、ドラフト5位でオリックス・バファローズに入団。即戦力として、1年目からの活躍が期待される。