~インタビュー掲載~ 【元JFA審判・家本政明氏】特別インタビュー
◆特別オンラインインタビュー◆2月7日◆2021シーズンを持ってJリーグのレフェリーを引退した家本氏。その人生は想像を超える苦難の連続だった。自らを「日本一嫌われた審判」と表すほど、世間から痛烈な批判を浴びた経験がある。過去の本音とともに、今を生き抜くヒントを伺った。
――選手から審判に転向した経緯
直接の原因は胃から血を吐いたこと。大きな病院に行って検査をしたらスポーツはおすすめできないと言われた。その症状は急に出たわけではなくて、高校1年生の時から夏場に激しい練習をしていると吐血をした。夏場だけなんだけどなぜか。冬は同じような練習量をこなしても吐血しなかったけど、その量がどんどん増えた。色も黒くて、大学の時にこれまずいなって思って、ちょっと赤みがあった。病院に行って医者から競技はおすすめしないって言われた。もちろん命の方が大事なのでしょうがない。自分はそういう世界でできないんだったらもう(サッカーは)やめようって、学生コーチも考えたけど1年で学生コーチはピンとこなかった。単にサッカーを見たり応援したりするのに興味がなかった。高校1年か2年の時くらいから吐血をしていたけど、体調が悪い時にDチームとかCチームの審判をやった経験があって、(審判を)やってみようかなって。やってみたら意外と面白くて、資格をとって本格的に始めた。
――症状が酷くなった時期
高1の時はそんなに。病院の先生にも診てもらっていたけどそこまで重症という表現もされなかったし、自分自身もそういう認識はなかった。ただ、本当に大学1年の1月1日くらいだったと思うけどすごい量(の血)を吐いた。今までに経験ないくらい。あ、これはまずいって思った。
――医者から診断を受けた時の感情
サッカーが好きだったし正直頭の中っていうか目の前っていうのかな、真っ白になったよね、正直なところ。ずっと自分はいろんなことを犠牲にしながらやってきたから、それがダメってなった時は(頭が)真っ白になった。
――XEROXの試合の前後で審判のやり方を変えるにあたって苦戦した部分
多分それって、人それぞれの性格みたいなところもあると思ってるんだよね。僕は割と大きな変化が大好きな人で、どちらかというと保守よりかは革新。変えていくのが大好きな人。他人を変えようとは思わないけど、自分自身を変えるのは大好き。あまりにも大きく変えすぎるとまた違った意味で目立っちゃうでしょ。みんなもこれから社会人になって色んな会社に勤めたりだとか、個人でやるにしろお得意先の人がいたりすると思うんだけど、特に組織に属していると組織の決定ってすごく大きいんだ。そこに反旗を翻すとかさ、全然違うことをやるっていうのって望ましい形ではないよね。そうなった時に、いきなり変えたいけどそういう方針も出てないからちょっとずつ変えようっていうふうに決めた。変えるんだけど、ちょっとずつ変える。それをどのくらいの期間でっていうのを考えた。3年に自分で設定して、その中でちょっとずつ変えようと上に宣言した。ミスしたら選手に謝るようにしたし、最初の頃はそれに選手もなんだよお前とか摩擦はあったんだけど、自分が正直に自分のことを発する、選手と向き合う、声かけをするとか本当にやり方を大きく変えた。でも元々そういうのができるし好きだったから、人を喜ばせるとかコミュニケーションを取ることはすごく好きだし得意な人間だから、変えると言っても本当の自分を出していくっていう、それまでの自分が偽りの自分っていうか作られた自分だったから、変えるっていうか戻すっていう表現の方が僕としては正しい。でもサッカー界、審判界では変えていったっていう風には見られるよね。だからこのなんだろうな、見え方は違うけれども、僕はないものを1から作り上げるっていうよりかは、1あったものをそのまま表現したって感じだった。だからあんまり難しくなかった。ただ、最初は摩擦を気にもしたし敵対心もあって、だから誰とつながろうっていうのは選手とつながろうっていうのを意識した。彼らからの評価が上がれば、そこを応援しているサポーター、ファンの方とかそこに属しているチーム関係者、監督、コーチっていうところと信頼感でつながると思ったから。
――引退を決断した理由
元々こういう状況になったらやめようって決めてた。例えば視力が落ちて分かんなくなったとか。回避できたにも関わらず自分のミスで多くの人を傷つけるとか、試合を壊したら。あと、家族への被害があったら。元々決めてたから町田対名古屋でこうなったらやめようっていうのがもうまさにフルヒットしたから、辞めるって決めた。じゃあ、いつなのよって。すぐにでもやめようと思ったけどちょっと話をして。辞めることが全てじゃないと当然頭でわかってたけど。じゃあ、3年後にやめよう。じゃあ、なんで3年って決めたかと言うと、サッカー界、審判界というのは審判の位置付けって保守、守ることみたいなのはするけどそうではなくて、喜びとか感動をクリエイトする世界観っていうのかな。そういうモデルケースを作りたいなと思って。そうあることで、もっとたくさんの人をサッカーの魅力に取り込んでいくとか、あるいは「レフェリーって面白い」と思う人を増やそうみたいな。ちゃんと実行する、結果を残す。そういう声が周りから上がってくる。これでいいんだと経験者が発信していく。「試合って、意外となんか面白いんだよね」。そういう声を募るには3年ぐらい必要かなと思って設計を3年にした。ところがすぐに結果が出た。それはそれでよかったけど。コロナがあって、 VARっていうテクノロジーをJリーグに導入するっていう時に色々大変だった。それで協会ともう1回確認して。で、「どうする?」と言われて、ここでやめてもいいし、もしVAR導入に対してもう一仕事するんだったらもう1年しますよ。みたいな感じでその確認をした。いろんな人と話して、そこで辞めるんじゃなくて3年にする意味とか目的みたいな、ゴールというのを自分で設定して実現もできたし期間がきたから辞めた。
サッカー部主将・國嶋からの質問
――選手とのコミュニケーションの取り方
基本英語だね。 俺全然英語喋れないから適当な英語で会話してたけど。そこにいる時に多少は単語レベルで覚えてるからそれを少し使うとか。外国の方が日本に来て、ちょっと変なんだけど日本語喋ってくれたら、なんか「おっ!」と思うの。そんな感覚。だからブラジル人がポルトガル語を話すからちょっとポルトガル語を返すと、「お、 お前ポルトガル語喋れるの?うぇーい!」みたいな感じ。韓国の選手は、割と日本語を覚えてくれる選手が多いかな。
(取材・構成=浅川明日香・小野理紗、画像=本人提供)
【プロフィール】
◆家本政明(いえもと・まさあき)
1973年6月2日生まれ。181㌢・74㌔。2021年までJFAのプロフェッショナルレフェリーを務めた。1995年度同志社大学経済学部卒。
◆國嶋康介(くにしま・こうすけ)
2002年4月14日生まれ。神奈川県・桐光学園高校出身。今年度サッカー部主将を務める。180㌢・71㌔。法学部4年。